クトゥルフ神話の世界観は創設者ラブクラフトとダーレスとのもので若干の違いがあります。
H・P・ラヴクラフトの世界観
宇宙には、それ自体が生まれたときから「アザトース」という神がいました。
盲目白痴の神であり、煮え立つ混沌の核であるアザトース、一説ではその混沌から宇宙が生まれたとする説もあります。
そして宇宙の中に地球が誕生すると、今では「古のもの」と呼ばれる者たちが宇宙から地球へやって来ました。
水生生物である彼らは、南極を拠点にし、「ショゴス」と呼ばれる不定形の生物を眷属として使いながら繁栄しました。
そして繁栄の最中、「古のもの」は人間等の現在地球に存在する生命に繋がる者達を創り出した。それは彼らの家畜、あるいは戯れとしてであった。
その後、「古のもの」が繁栄する地球に新たな異星物である「クトゥルフ」とその眷属達が到来しました。
当然のようにクトゥルフとその眷属である「深きもの」は、「古のもの」とその眷属たちと激しい戦いを繰り広げ、その戦いは長く続きました。
しかし、戦の最中クトゥルフが倒れ、ニュージーランド沖合に自らが建造した石造都市「ルルイエ」で眠りにつくと、その眷属たちも戦をやめ、クトゥルフに奉仕することになりました。
後の地殻変動により「ルルイエ」も海の深くへ沈み、クトゥルフは夢を見ながら海底で永い眠りにつきました。
こうして勝利したかに見えた「古のもの」も、長い戦による疲弊と眷属である「ショゴス」の叛乱、地殻変動などによって衰退し、氷河期の到来とともに南極の深海へと姿を消した。
その後も支配者不在となった地球には「盲目のもの」と「イスの偉大なる種族」「ミ=ゴ」など宇宙から飛来した数々の種族達が、やはり地球の派遣を争ったが、そのいずれもが衰退、もしくは封印され、現在までの数千万年の間は無勢力状態となっています。
この空白の隙に、人間が登場した。だがその繁栄も、所詮は他の勢力が甦るまでのわずかな時間にすぎない。
オーガスト・W・ダーレスの世界観
宇宙の根源には、善の体現であり全能の神である「旧き神々」と呼ばれる神と、邪悪の体現である「旧支配者」と呼ばれる邪神とがいました。
「旧支配者」は結束して「旧き神々」に反逆を起こしたが数億年にも渡る長い戦いの末敗北し、滅ぼされたり、地球の各所・あるいは宇宙または次元の様々な場所に封印されていました。
だが、これらの封印も今では効力を失いはじめ、「旧支配者」は「旧き神々」の呪縛から逃れ、復活する隙を伺っている。
こうして説明すると、「邪悪な旧支配者」対「善なる旧き神々」という構図のように感じられるが、「旧き神々」が人間に対して特別好意的というわけではなく、「旧支配者」復活の際には「旧き神々」が人間を守るなどと言う事は考えにくい。何故なら彼ら神々にとって人間というのはとるに足らない物だからである。
どちらの世界観に基づくにしろ、人類の栄達はほんの一瞬の幻であり、何処かの勢力が甦ったあとには跡形もなく消し飛んでしまうものです。
クトゥルフ神話の内包するテーマは、宇宙の根本的な恐怖―宇宙(この場合人間の手の届かない時間空間を示す)は人間に好意的ではない、それどころか悪意さえ抱いている―である。人類が、宇宙や自然に対して、自分の無力さえお感じている限り、クトゥルフ神話は廃れることはない。